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私とApple製品

昨日、Steve Jobsさんが亡くなられました。

多くの人がそうしているように、私も仕事の合間に沢山の追悼文や献花のニュースを読み、思い出の動画を見返しています。

# 特に、これこれが興味深いですよ。

私はAppleの歴史に疎いですし、新製品を端から全部買うという訳でもありませんし(4Sは予約しましたが)、いわゆる「Apple信者」ではないと思っているのです。

それでもやっぱりどう考えても、Macが無ければいまの仕事はしていなかったであろうという結論に達するので、今日の記事はそのことを少しだけ書いてみようと思います。

私が最初にMacに触れたのはかなり遅く、武蔵野美術大学短期大学部の学生時代のことでした。1993年か1994年ぐらいのことで、研究室の脇にあった「Mac部屋」に、確かQuadraが3台ぐらい置いてあったように思います。

その頃の授業中には写植の指定方法を習っており、MacやAdobe製品を使う方法は一切習わなかったのですが、教授や助手さん達および一部の先進的な学生はMacを使いはじめていたのですね。

私も時々お願いして「Mac部屋」に入れていただき、Illustratorを起動して文字を打たせてもらい、訳が分からないながらも「画面で好きな書体を触ることができるんだー!写植いらないじゃん」とおぼろげに思っていました。その頃は、まだ描画に必要なパワーが無く、アウトラインモードで作業をして、時々プレビューモードで確認するような手順だったように記憶しています。

それから、同級生のお金持ちの息子さんが、自前のColorClassic IIを大学に持ってきて見せびらかしていたのが、羨ましくて羨ましくて。いま見ても、なんと言っても可愛く魅力的な機種だと思っています。

卒業後すぐにデザイン業界に行かずに数年回り道をしたため、次にMacに触ったのは数年間が空いた1999年でした。25歳でデザイン業界に転職しようとし、「就職するならMacが使えないと!」ということで、なけなしの貯金をはたいて、出たばかりの青いポリタンク(Power Macintosh G3)を購入。Illustrator8とPhotoshop5(だったかな)を手に入れ、毎日毎日「1週間でできる!」的な書籍を読みながら、練習に励んでいたことを覚えています。

やっとのことで入れたデザイン会社に置いてあったのは、Power Macintosh 7300でしょうか(おそらく)。あまり使いませんでしたが、なぜかメディアがJazzだったのを覚えています。

その次に自前で買ったのは、おにぎり型のiMac。華やかな5色のモデルではなく、あえて「グラファイト」を買いました。

Mac OS9の時代って、起動時にお正月だと「謹賀新年」と表示されたり、お誕生日を祝ってくださったり、何とも人間臭くて可愛かったですよねぇ。

その後、もう一台iMacを買い、一度Windowsに浮気し(ごめんなさい)、次に白いMacBookを買い、音楽用にiPod touchを買い、外で使いたくなってiPhone 3GSを買い、仕事用にMacBook Pro15インチを買い、外で色々したくなってiPad 2を買い......。ごく平均的な日本のWebデザイナーの購買パターンに近いと勝手に自分で思っていますが、どうでしょう。

話が変わり、こんなことを書くのもアレですが、元来手先が器用ではない私。自由奔放なアイディアを考えることや、力づくで画面を埋めていくような作品を作るのは得意でしたが、0.1mmのずれも許されないような精密な作業は苦手だったのです。

もし私がMacの無い時代に育っていたとして、デザイナーになるのに写植と烏口を使った版下作成技術が絶対に必要だったとしたら、きっとデザイナーにはなることは無かったでしょうね。

そう考えると、自分のアイディアを美しく形にしていくのにMac(と各種グラフィック作成ソフト)は必須の道具であり、その力をなんとかかんとか借りながら、いままで糊口を凌いでくることができたのだと、改めて実感しています。

Steve Jobsさんのクリエイティビティに比べると卑小なお話過ぎて恐縮ですが、極東の片隅の片隅にこういう東洋人女性もいて、とてもお世話になっています。という感謝の気持ちを伝えたかったのでした。

きっとこれからも、あなたの会社の製品にお世話になり続けると思います。本当にありがとうございました。