いい言葉ちょうだい
火曜/金曜担当の@cremaです。
今日は、健やかに楽しく仕事するために自分で決めたことを、書き記しておきたいと思います。
それは「今後、ネガティブな言葉を一切使わない」ということ。
自分を卑下することが得意
私は幼いころから自分を卑下することと過剰に謙遜することに慣れていて、周囲の人から度々指摘されつつも、直さずに37歳まで生き延びてきました。
いわく、「私は醜い」「私は運動ができない」「私は歌が下手」「私はテストで満点を取れなかった」「私はみんなから好かれていない」エトセトラエトセトラ。
大人になってもいくつもの理由で、ずっと自分を卑下しつづけています。というより、完全否定をしつづけています。
競合プレゼンに落ちた時、ブックマークに批判コメントを書かれた時、容姿や年齢をけなされたとき、間違った知識をこてんぱんに批判されたとき、趣味のサルサで踊るのを断られた時。
そんな時、「あぁやっぱり、自分はだめな人間だから、こういう結果になるのは当然なんだ」と思う習慣になっているのです。
どうして自分がそうなのか理由をつらつらと考えてみたのですが、結局は自分を守るためなのではないかと思うのです。他人から傷つけられる前に自分で自分を貶めておけば、それ以上は傷つかずにすむ、という防御本能といいましょうか。
認知のゆがみ
そして、「自分の欠点だけに異常にフォーカスをあて、長所は眼に入らない」という認知のゆがみがあるということを、数人の方から度々指摘されてきました。
よく言えば「現状に飽き足らず、常に問題点を探して向上しようとしている」と、とらえることもできます。
しかしそれよりも、そのような「自分を認められない生活」はとても心が苦しく辛いことが多く、その心情を度々TwitterやmixiやFacebook上で吐露してしまい、またそれをあとで読み返しては落ち込むという悪循環。
さらに、親しくなった人には「私ってだめだよね?」と確認を求める行動すらします。「そんなことないよ」という言葉が欲しいのかもしれませんし、「やっぱりだめなんだ」と確認して安心するのかもしれません(実は、そこはよく分かっていないのです)。
そして「他人は全員全て私を否定している→他人は信用できない」という意識の流れも生まれてしまっているのを、自覚しています。
ここまで書いてみて改めて思いますが、こんな人が側にいたら、普通の人は「面倒くさい」「うざい」と思うのが当然ですね(笑)。
さらに「(そのような言葉を聞かされる)相手の気持ちを慮っていない」「他人を大切にしていない、愛を与えていない」と、度々指摘されております。
適度な謙遜は日本人の美徳かもしれませんが、過度に自分を悪く言うということは、相手に対する自分の印象を著しく低下させ、自分の心を疲弊させるのだということが、37歳にして痛いほど分かってきました。遅いですね。
今後の改善
このような悪循環を断ち切り、明るく気分よく仕事できる精神状態を作るための第一歩として、「今後、ネガティブな言葉を一切使わない」ということを決めてみます。オンラインでもリアルでも。
もちろん、心の中で思うことは急に止められないかもしれません(多分止められないでしょう)。しかし、言葉に出さないということは、自分に対してそれを再確認しないということで、少し状況が改善されるきっかけになるのではないかと思っています。
性格的に、毎日「私、楽しくて幸せ!」と過剰にハッピーな発言をし続けることもできませんが、少なくともニュートラルな状態にまではもっていけるように、努力します。温かく見守っていただければ幸いです。