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パナソニック電工汐留ミュージアムで開催中の「ウィーン工房 1903-1932 -モダニズムの装飾的精神-」展にいってきた。

Ttl gallery

こんにちは、taku-workです。
今回はパナソニック電工汐留ミュージアムで開催中の「ウィーン工房 1903-1932 -モダニズムの装飾的精神-」展のおはなし。
建築からインテリア・デザイン、ファッション・デザインまで、幅広い活動を行ったウィーン工房。その精神と造形美と歴史を垣間みれる展示となっています。

ウィーン工房 | 汐留ミュージアム | パナソニック電工株式会社 | Panasonic
http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/exhibition/11/111008/index.html

展示はアームチェアから始まります。

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このアームチェアはサナトリウム・プルカースドルフの一階ホールに使用されていたものだそうです。
垂直のスリット状の椅子と白と黒の格子に編まれた座面が斬新です。

ここでちょっとウィーン工房の成り立ちについておさらい。

ウィーン工房は1903年、建築家ヨーゼフ・ホフマン、コロマン・モーザー、実業家のフリッツ・ヴェルンドルファーの三人によって設立されます。
「工芸関連のすべての品々とインテリアと家全体の設計」を一手に引き受けることを目指していました。

設立当時、世の中のデザインの主流はアールヌーボーに代表されるような歴史的で優雅な装飾を与えられたものばかりで、ウィーン工房はそれらの装飾からの脱却を目指し、直線的な構成や機能主義を打ち出していきます。
サナトリウム・プルカースドルフの建築と内装家具に代表されるような直線構成を用いた様式は当時各国で起こっていたモダニズムの中でも格段にレベルの高いものでした。

展示会場には直線構成を打ち出した作品が続きます。
格子でできた花器や装飾の少ない鏡台、幾何学模様のベッドなどが展示されています。

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しかし、ある時期を境にウィーン工房の作品はガラリと作風が変わります。
原因は1908年にコロマン・モーザーが工房を去ったことにあります。
経営状態の悪化とそれに纏わるいざこざが原因でした。
また、当時の戦争による材料不足や人員不足もあり、ウィーン工房は新たな道を模索することになります。
そんな中、1915年にダゴペルト・ペッヒェが工房に参加します。
ダゴペルト・ペッヒェの作風は優雅で華やかな装飾を用いた芸術至上主義のものでした。
モダニズムと装飾の融合によって新たな様式を打ち出したウィーン工房はファッション分野でも活躍していきます。

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その後のウィーン工房は前期の機能主義とは打って変わって、華やかな装飾が再び使われ芸術至上主義の道を歩みました。
展示会場も後半は服飾系の作品が多く華やかな印象になっていきます。
ドレスやネックレスなども展示されていて、模様や色使いが華やかです。

ウィーン工房が芸術至上主義へと移り変わりはじめた1915年以降、各国でもモダニズムの大きな流れが起こっています。
ドイツではバウハウス、オランダのデ・ステイル、ロシアではロシア構成主義などです。
各国で機能主義、構成主義が広まっていきます。

最終的には世界恐慌という時代の流れに飲み込まれ、ウィーン工房はその歴史を閉じます。
ウィーン工房は初期の頃から経営がうまくいかず、場当たり的な見積や無計画な事業拡大などで債務を増やしていったようです。
1914年には有限会社として組織変更するなど経営の回復に努めますが、最後までうまく行かなかったみたいですね。

ということで、

展示は前後期で異なるスタイルにわかれ、ウィーン工房の歴史を感じさせます。
それぞれのスタイルにあっても素晴らしい造形を提供していたのもユニークです。
また展示の最後には、工房に所属していたフェリーチェ・ウエダ・リックスの作品も多く展示されています。

そして今回の展示はウィーン工房の歴史背景も興味深いところです。
展示図録に経営史が解説されているのもなかなか珍しいですね。

展示は2011年12月20日(火)まで。ぜひ。