Web上の文言を読むときは一息おいてみるといいのかも?
みなさん、こんにちは、まーしーです。
3月ももう下旬。はやいですねぇ、はやいですねぇ><
最近Twitterを見ていて思うことが増えたのですが、読む側の配慮というか、言葉の節々だけで判断して、言い争いしたりしてるのはどうなのかな〜、と思う事があったりしました。
そんなことを思うのは自分だけなのかなぁ、と思ったりしたのですが、そんなこともないようですね
フォロアーに皮肉を言うのって益がない な。勢いで言わないように気をつけようと思った。RT @keisuke_matsuda: 140字だから省略して書いているのに、最近揚げ足取る人によく出会う。自分が言葉足らずなのも良くないのでしょうが。もうちょっと気楽に楽しめないのかねー。
Twitter / Hideaki ISONO: フォロアーに皮肉を言うのって益がないな。勢いで言わな ...
http://twitter.com/hikitate_cafe/statuses/10668043683
確かに、書く側もしっかり書く必要は十分にあります。
関係がそこまで強固でない場合もあるからゆるやかに繋がれる、というかんじがTwitterとかのメリットだとはおもいます。
だからこそ 省かれてしまう部分もあるでしょうし、そもそもの文字数制限で省かれる場合もあるんだろうなぁ、と思います。
Twitterにしろブログの記事にしろ、その言葉の裏にある背景を全て知ることは出来ないかもしれませんが、140文字以内の文章などから知り得た物で判断してしまうのはどうにも危険をはらんでいることがおおいよなぁ、、、と。
なにかしら自分で感じるのは当然ですし、そこからどう思うかも人それぞれだと思います。ただ無意識のうちに、前提を決めつけていないかを見つめ直してみる必要があるかもしれませんね。
少し前のエントリーではありますが、#fc0のふうりさんが書かれていたエントリーを読んで以来何度か考えたりしていました。
大前提:ネット上でのコミュニケーションで配慮するのは、書く人より読む人
1.その意見は、その人から生まれたものである
2.内容に納得できなくても、存在を理解する
3.否定的な意見は、肯定的な意見よりもパワーがあるネット上で意見を読むときに気をつけること|fuuri.net
http://fuuri.net/?p=597
どういう意図をもってかかれたのかは文面からはなかなか判断しにくい場面もあると思います。はっきりと明記されていない場合はその意図を知っているのは書いた本人だけなので、読む側の憶測で判断して形作ってしまうのは危険ですよね。
こういうのもリテラシーに関わってくるのかもしれないのですが、それなりにWebの情報に触れてる人でもそういうやりとりをしているのをみてると、ふれる度合いが少ない人からするとハードルが高いのかなぁ、などと思ったわけです。
Webに限った話ではないきもしますが、そんなとりとめのない話題でした。