linkerは「人と人」「人と情報」「人と物」をつなぐデザインユニットです。

プレゼンを聴く心構えなど。または「場の価値の最大化」のお話。

こんばんは、@cremaです。

このエントリを書き始めるまでに随分時間がかかってしまいましたが、今日はすこし考えがまとまったので、書き留めておきます。

コトの発端は、私が生まれてはじめて参加したWordCamp Tokyo。

WordPress界隈と言えば、初心者さんから凄腕の方までみんな本当に和気あいあいとしていて、オープンソースのおおらかな雰囲気が漂っている、私にとっては憧れのコミュニティなのです。

そんな皆さんのお祭りに、ちょっとドキドキしながら潜入した訳なのですが。

私が拝聴している中で、画面切換操作等のミスをしたことにより、数分間があいてしまったプレゼンがあったのです。

私はその場で思わず、「ちゃんと練習されていないプレゼンを見るのはつらい」という趣旨のつぶやきを、Facebookの友達限定公開でつぶやいてしまったのでした。

怒られそうですが一応言い訳をしておくと、お名前も詳細も出さず純粋にそれだけを書き、一般公開もしていませんでした。私は、発表者のひとを攻撃したくて書いたのではなく、どちらかというと自分の身に置き換えて「もっと練習すれば良かったのに!もったいない><」と感じていたのでした。

しかし同じプレゼンを聴いていた @fuuri さんの感じ方は違いました。「この人は少なくとも喋りの練習はきちんとしているように思うし、話そのものは聴きやすかった」ということをコメントしたのち、こんな風に綴っていました。

WordCampを見て全体的に思ったのは「プレゼンをしたことがないけれども技術も知識もある人」のプレゼンの機会がもっと増えていくといいな、と思ったということかな。上手かどうかはあまり関係なく、多くの人にもっとそういう機会を与えられるイベントが増えるといいなあーと。

WordCampはLTを含めて比較的そういう方のプレゼンもあって、有料で講師などをやっている人に混ざってそういう人がいたことで、いいイベントだなあという感想を持ったです。しゃべる人やスタッフなどに多分あまり制限を設けていないところがステキだと思います。事業ではないからできることだよね。きっと。

人よりも秀でた知識や技能って世の中の人みんなにあると思ってて、みんながそれを伝えようと思えるような、敷居を思いっきり下げた場が作れたらいいなあというのは、かなり以前からの夢です。インターネットならできるって思ってます。

https://www.facebook.com/fuuri/posts/10151045311360636


そして、その後 @marimari (hysmrk)さんのこんなブログ記事が挙がりました。

過剰なプレゼン評価

自分が本業とする研修ビジネスとかだと話は別なんだけど、同業者が有志で集まって開催する勉強会であれば、個人的には、そんなにプレゼンのうまさにこだわらなくていいんじゃないかって気がしている。

もちろんうまいに越したことはないし、登壇者が練習して臨むことは素晴らしい、ありがたいことだ。なので、これは優先度の問題なのだけど、聞き手が話し手のプレゼン能力に過剰に評価的であると、その空気を読み取った優秀な熟達者は話すのを拒み、多様な熟達者の知見が共有されづらくなっていくのではないか。

そうして敷居をあげてしまうより、同業者の勉強会なら、同業者にとって価値がある、ユニークでより多様な熟達者の知見が共有されていくことを最重要として、聞き手もそこに焦点をあてて話を聞いたほうが、場の価値を最大化できるのではないかと思ったりする。程度の問題はあるだろうけど。

http://hysmrk.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-b032.html

このお二人の指摘を読み、私には「自分の感受性って、相当歪んでいるんだなぁ」ということが見えてしまったのでした。

私はお金をいただいて人前でお話しする機会が年に数回あり、月に一度講師もやっている関係上、プレゼンの事前練習をみっちり行うのが習慣になっています。

画面操作をミスしないことはもちろん、語尾を伸ばさないこと、マイクに入りやすい発声をすること、プレゼン中にスライドを見ないこと、スライドに小さな文字を使わないこと、単語の途中で改行しないことエトセトラエトセトラ......、多数のポイントに気を配るのが「当たり前」のようになっていました。

加えて、ダンスパフォーマンスという趣味をもっており、人前で何かを見せるにはとにかく練習!練習!練習!という固定観念があるわけなのです(ダンスに関しては、この考えは変わりませんが)。

私自身が人前で話すにあたってそういう考え方なのは、ある意味では良いことなのかもしれませんが、問題は「誰にでも」「どんな状況でも」その考えを押し付けてしまうということ。

fuuriさんやmarimariさんが指摘なさったように「プレゼン技術の上手い下手に関わらず、同業者にとって価値がありその人が秀でていることを、みんなで共有できる場を作る」という視点が、私にはもう本当にすっぽり抜けていました。

読んだ瞬間「あーーー、そうだ。そうですよね!ごめんなさい><」と、顔を赤くして膝を打つレベル。

いつも「多様な価値観を受け入れたい」とか思っている割に、モノの見方がなんと硬直化していたことか!と、猛反省した次第です。

さらに、私がとても尊敬している @shokuto さんも、@marimari (hysmrk)さんの記事を受けて、下記の記事を書かれていたことを付け加えておきます。

場の価値の最大化を目指して|withComputer

私にはかなりずるいところがあるので、いままでは「プレゼンが上手いと思ったひとを褒める」「そうでないと思ったひとはスルー」という行動をとっていたのですが、それも注意深く時系列で見ると批判的な視点が透けて見えてきますよね。特にプレゼンをしたひとは、あとで注意深くハッシュタグ等を追うものですから。

こんな私ですが、「色々なひとの有益な知見を、ありがたく分けていただく」という「場の価値の最大化」が最も大切だと思うとともに、自分の凝り固まったところは常に切り崩していきたいと考えておりまして。

あれ以来、Twitterで実況をするときなどには、「プレゼン技術そのものには一切言及せず、お話の中身だけに集中して実況するなり感想を述べるなりする」というスタイルに切り替えてみました。

これから先、もっと色々なひとのお話に触れてみたい。

そして、いま私がとても助けていただいている「Web業界の横のつながりの素晴らしさ」をもっと堪能していきたい。

と、考えております。

みなさま、今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。