linkerは「人と人」「人と情報」「人と物」をつなぐデザインユニットです。

Belugaとか家族ブログを地震を経て考えたりしました

みなさん、こんにちは、まーしーです
ロンドンに来てちょうど半年になりました。あっというまの半年でした。そのことは別なときにまとめてみたいと思っています。

さて、先日の大地震の際、ライフラインがとまった実家(青森)とどうやって連絡を取ったらいいか?というのは終日考えていました。電話はつながらないだろうとは思いつつかけてみましたが案の定つながらないですしね。
(そもそも、携帯から海外にかけられない設定になっていた、というのにも気づきましたが・・・)

Twitterでの情報

Twitterがいいとかよくみましたが、使ってる or 使える環境にいる人たちならそう思えるかもしれませんが、日常的に使わなくてもいい人たちの方が多いだろうからどうなんだろうな?とも思いつつ、確かに、情報の伝達が早いとか色々いいところもあるので、それはそれ、というかんじでした。

今回のように家族と連絡を取るためには使えないよな〜、と思いました。
連絡を取る手段として用意しておくというのはありだとは思います。ただ、そういう用途で準備だけしておいても多分大事なときにパスワード忘れて使えない、とかなりそうな気もしたり。

その辺の話はこちらの記事できれいにまとめられていました。読んでみると納得するところも多かったです。

災害時にはBelugaがすごく良いんじゃないかという話 - hitoshi DAILY
http://hitoshi.posterous.com/beluga  

とはいえ、んじゃBelugaなの?というとそうでもないかな、という気がします。
やはりBelugaをいれられる(見られる)携帯ばかりではないというのが一番大きいかと思います。

うちの家族では家族ブログがあるので、当日そこで情報のやりとりをしていたのですが、一番見るであろう両親が携帯で見れなかったというのは大変申し訳なかったので、再度移行作業を進めたりしています。
(色々な経緯をへて今のwordpress.comに移ってきたのですが認証かけた環境だと携帯では見られないので、とりあえずtypepadに戻る事にしました。携帯やSmart Phoneでも使いやすくて認証かけて使えるブログサービスって何かないですかねぇ。)

実際のところ両親は携帯の電池を心配して電源を切っていたとのことで、結局のところみれるようにしていたとしても見たかどうかというと疑問ではありますが、見るかどうかの判断はこちら側では出来ないので用意しておく必要がありますね。

結局のところ電気や携帯がつかえるかどうか

それを言ったらおしまいだろ?という話でもあるかもしれませんが、結局のところ電気も携帯もネットも使えないと全然意味をなさないわけですよね。
実際がどうなのかはわかりませんしその時々だとは思いますが、携帯が使えたとして発信制限の時とかでメールも届きにくいという時に携帯でネットを見るとかはできるのか?などなど。
関東も電話がつながりにくい状況だったようですが、そういう状況でもBelugaに対する評価もそこそこあるようなのでBelugaを通しての通信はそこまで影響がなかったのかもしれませんね。

携帯の回線ではなく単にインターネットにつながっていたから、ということなのであれば「使える」とは考えにくい気がしますし、EmobileやWiMAXみたいなのをほとんどの人が持っているとも考えにくいですし、そうなると電気が使えない状況だとかなりの確率でインターネットは使えないと思うので何かしらの代替手段が必要そうな気もします。

ということで

何でもかんでも悲観的にとらえてしまうと何も残らなくなってしまいますが、結局のところ災害とはそういうもので、対処できないところはどうにもならないんだと改めて思いました。

デマや誤報も多く流れるでしょうが、情報を受け取れる環境にいる人にとってはTwitterなどをはじめとしたインターネットでの即時性や情報はすごく便利な反面、その環境がなければそこまで便利とは言えないでしょう。
とはいえ、即時は無理でもある程度復旧し始めると情報を受け取れる環境が戻るでしょうからそこからインターネット経由での情報収集や発信は効果的な気がします。

今回の地震を経て、父親は連絡手段を広げるために携帯をSmart Phoneに買い換えたようです。
今や携帯がない生活は考えにくく、便利なものが増えてきてそれにどっぷりになると、いざ使えなくなったときに色々困ってしまいますよね。
地震などに備えて準備しておくという事も当然必要ですが、普段使っているものの中で使えなくなった時の代替手段を考えておくことは必要そうですね。

便利なツールがたくさんありますが、状況と用途に応じて使い分ける能力が必要だなぁと改めて思いつつ、普段当たり前に感じている・過ごしている事に対してあまりにも無関心で考えていないことが多いなぁ、というのにも気づかされました。